阪神淡路大震災から30年

あれから30年が経ちました。

大震災で人生が大きく変わってしまった。そんな方はたくさんいらっしゃると思う。

私自身も地震が起こるなんて微塵も思っていなかった。

大学に東京に行ってましたが、地震で恐ろしいところだ
東京は恐ろしいいところだと感じていた。

神戸市民の多くは地震に対する備えなんて誰もしてなかったと思う。

商売に対するリスクヘッジは日ごろから準備をしていたつもりですが、
地震に対する備えはゼロでした。

大震災当日、朝5時過ぎです。ドーンという下から突き上げる感じで身体が浮き合ったような感じでした。

その衝撃は凄まじくて暴力〇がトラックで自宅に突っ込んできたと思いました。

来たか!と身構えたのを覚えています。2回ドーンと来ましたから
とうとう来たかと覚悟しました。

商売がレジャービルをたくさん所有していたので、トラブルもありましたし、
絶対に負けない対応をしていたから恨んでいるやつもいるだろうと
日ごろから気を付けていたのは事実ですから。

あのころ携帯もつながらないし、テレビも見れないし、情報が何も入ってこなかった。

外の景色を見ると火災が広がっているところもあるし尋常なことではないと察しました。

とにかく会社に行かないといけないと思い、車を何とか出して向かいました。

すると家やビルが崩壊し火災も広がりこの世の終わりだと思える景色でした。

会社の近くに行くほど神戸の中心地でしたから悲惨な状態になっていました。

本社に行くと会社の奥にあった大金庫が玄関入り口まで飛ばされていた。

もし事務所にいたら即死状態だったと思いました。
ミキサーにかけられたような事務所の中でした。

鬼のような親父が俺の人生は終わったと涙を流していた姿を見たときは
何も先は読めないが、とにかく俺が何とかすると言って育ててくれた恩を返さないと
いけないと放った言葉でした。

それが私の再生のスタートです。次の日には銀行回りして現状と資金の手当てをお願いしました。

その時のスタートダッシュが後々に効果を発揮することになった。

とにかくどさくさ紛れにいち早く銀行に行き借入を進めたのが再生成功への1歩だと思います。

再生は時間との闘いです。それがわかっていないと破綻に追いやられます。

 

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株式会社 Jライフサポート 三條慶八

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